長崎の桃カステラはどんなお菓子?中国と南蛮が異文化コラボした縁起菓子だった!
長崎のご当地お菓子「桃カステラ」。
この「桃カステラ」は、ひな祭りの祝い菓子として、長崎では昔から親しまれています。
春先になると、老舗カステラ店の店頭には、可愛い桃カステラがずらり並び、長崎の人々に春の訪れを告げます。
ただ、初めて見た人は「なぜ、カステラに桃?」、「どうして、ひな祭りに?」と不思議に思うそうです。
そこで今回は、
「桃カステラ」が生まれた由来やその歴史について目を向けてみましょう!
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桃カステラとは
「桃カステラ」は、ハート型のカステラ生地の上に砂糖と水飴を練ったものを掛け、桃に似せて作ったカステラです。
大きさは、手のひらサイズの大きなものから、ひとくちサイズ(4cm程)の小さなものまであります。
長崎では、主にひな祭りの時期に合わせて販売され、雛菓子として出されたり、初節句の内祝い、出産祝いなどの贈り物として使われています。
とにかく、キュンくるような可愛さでお祝い気分を盛り上げてくれる、そんな縁起菓子なのです!
桃カステラの由来
「桃カステラ」が生まれた背景には、長崎が中国や南蛮との貿易の玄関口であったことが大きく関係しています。
古くから中国との貿易が盛んであった長崎には、中国の品物だけでなく、風習や文化なども入ってきました。
なかでも「桃は不老不死の果物であり、桃を使った長寿を願う風習」が伝わり広がることになります。
一方、南蛮貿易によって長崎に伝わったとされる「カステラ」は、地元の菓子職人たちによって日本独自のカステラに進化していきました。
すると、長崎では「桃は長寿を意味する果物」との考えが浸透していたこともあり、「カステラ」と融合させることで、縁起の良いカステラ「桃カステラ」が誕生したのです。
このように、中国文化の「桃」と南蛮文化の「カステラ」とが異文化コラボした結果が「桃カステラ」なのです。
カステラの豆知識
カステラは、室町時代末期に始まった南蛮貿易によって長崎に伝わったとされています。
当時のカステラは、スペインのカスティラ王国のパンとして伝わり、その後「カステラ」という名前だけが残りました。
長崎では独自の製法で「カステラ」を作り続け、さまざまな改良を重ねることで、明治時代には現在のカステラとなったのです。
どうして雛祭りに桃カステラを食べるの?
ひな祭りの起源とされる中国の「上巳(じょうし)の節句」では、桃の種から作った薬湯を飲む習慣があります。
古来中国では「桃には邪気を払う力」があるとされ、長寿を意味する果物なのです。
このことから、もともとは初節句のお祝い返しとして、相手の長寿を願い、桃カステラを贈っていました。
しかし次第に、ひな祭りが「桃の節句」と言われることや、「女の子が健康で長生きできますように!」と願うことから、ひな祭りに「桃カステラ」を食べて祝うようになったそうです。
今日では縁起の良いお菓子として、ひな祭り以外の慶事にも使われています。
桃カステラはどんな味?
桃カステラの桃の部分がどんな味なのかが気になるところです。
桃は、カステラ生地の上にフォンダン(砂糖と水飴を練り合わせたもの)をかけ、錬りきりで作った葉と枝を飾っています。
このように桃の部分は砂糖菓子になるので、桃の風味はせず、しっかりとした甘味になります。
お店によっては、カステラの甘さを控え目するなど、お店独自の味を出しています。
桃カステラを年中販売しているお店
桃カステラは、ひな祭りの期間限定商品とするお店が多いのですが、最近では、ひな祭り以外にも結婚式の引き出ものや出産祝いなどの慶事に贈られるようになり、1年を通して販売しているお店も増えてきました。
・松翁軒(TEL:0120-150-750)
・千寿庵(TEL:095-822-0543)
・万月堂(TEL:095-822-4002)
※地方発送をご希望の方は、各店舗にお問い合わせして下さいね。
最後にひとこと
「桃」と「カステラ」がコラボして誕生した「桃カステラ」。
現代のコラボ商品が、生まれては消えを繰り返えす中で、桃カステラが長崎の暮らしに定着し残っているのは、カステラ職人たちの絶え間ない努力の結果だと思います。
伝統菓子を次の世代にも残していこう!との熱い思いが詰まっているといっても過言ではないでしょう。
桃カステラはとても甘いのですが、職人たちの心意気は決して甘くはありません。
だからこそ、桃カステラが縁起物として、今もなお長崎の人々から愛されて続けているのでしょうね!
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