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氷室は天然の冷蔵庫!詰め込んだのは、冷たい氷や雪だけでなく熱い職人魂も!

   

冬にできた氷を夏まで保存する「氷室(ひむろ)」。
いわば天然の冷蔵庫です。
氷室の歴史は古く、今から1600年以上前に氷を保存する知恵を持っていたというから驚きです。
今でこそ身近な「氷」ですが、冷蔵庫なんてない時代にどうして夏まで保存できたのでしょうか?
そこで今回は、
氷と供に先人たちの努力と知恵が詰まった「氷室」について見ていきましょう!

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氷室とは

氷室とは
氷室(ひむろ)とは、山間や地下などの涼しいところを利用して作られた自然の冷蔵庫で、冬にできた氷や雪を夏まで保存しておく保管庫です。
保管庫といっても現代のように外の熱を遮断できる断熱材などはなく、自然の洞くつを利用したり、昼間でも日の当たらない山の谷間など、気温の低い場所に穴を掘り、カヤなどで作った屋根をかけた簡単な造りのものでした。
昔の人は、その氷室に氷や雪を入れ、そして夏になると氷を取り出し、貴重な「涼」を味わっていたのです。
江戸時代には、氷だけでなく食品の保存にも使われるようになりました。

氷や雪の保存方法

氷室といってもいろいろなタイプがあり、初期のものでは自然の洞くつを利用していたり、地方によっても異なっています。
主の氷室は次の通りです。
①夏でも氷が残る洞くつを利用し、洞くつ内の氷を切り出し使用する。(※初期の氷室)
②氷室の中に雪を入れて踏み固めて保存する。(※北陸地方でよく見られる方法)
③川から水を引いた池で氷を作り、その氷を切り出し氷室に入れて保存する。

どうして氷は融けないの?

冬の間に仕込んだ氷や雪が夏まで全くとけないわけではありません。
氷室の環境にもよりますが、半分はとけてしまい残ったものを運び出していました。
つまり、氷室では、いかに氷がとけるスピードを遅くするかが重要になります。
そこで、氷を「おがくず」で包み保管した氷室もあります。
「水が蒸発するときには熱をうばい周りの温度を下げる」。
この原理を利用したのです。
氷を「おがくず」で包むことで、湿った「おがくず」から水分が蒸発し周りの温度を下げ、その結果、氷のとけるスピードを抑えることが出来たのです。
今ではこの効果を「気化熱」によるものと説明できますが、昔の人たちは経験則的に知っていたのでしょう。

気化熱とは、液体が気体になるときに、周りのものから奪う熱のことです。
要するに、液体が蒸発するには、エネルギー(熱)が必要なため、周りのものから熱を奪うのです。 夏にする打ち水も気化熱を利用した涼の取り方です。
実感できる例として、お風呂上りに濡れたままだと寒くなると思います。これは身体の表面についている水滴が体温をうばって蒸発しようとするからです。

当時、夏になると氷室から氷を取り出し宮中や将軍に献上し、氷の朔日(ついたち)に氷を食べ無病息災を願いました。
では、この「氷の朔日」とは何でしょうか?

氷の朔日(ついたち)とは

氷の朔日とは、旧暦の6月1日のことで、この日に宮中では氷を食べていました。
この6月1日(旧歴)に氷を口にすると夏バテしないと言われており、氷室から氷を取り寄せて暑気払いをしたのです。
当時、夏を無事に乗り越えることは大変だったことから、氷の朔日の行事には無病息災の意味が込められていました。
しかし、氷はとても貴重だったため、身分の高い者しか口にすることが出来ません。
そこで庶民は氷に似せたお菓子を食べ、夏の暑さを乗り切ろうとしました。
そのお菓子は、地域によって「氷餅(しみもち)」だったり、京都では「水無月」といわれる和菓子です。
※関連記事⇒水無月は京都の和菓子!なぜ6月30日に食べるの?

江戸時代になると、各地から将軍に氷を献上するようになりました。
石川県の湯涌温泉(金沢市)では、毎年1月末になると氷室に雪を入れ保存し、その年の6月末に取り出すという、当時を再現したイベントを行っています。

最後にひとこと

現代の技術では「氷」を保存することも作り出すことも容易になりました。
昔、出来なかったことが今は出来る!
逆にいえば、「今、出来るのは昔にチャレンジしたから」ではないでしょうか!
そうだとすれば、その昔「氷がとけない氷室を作りたいっ!」という熱い職人魂が今の冷蔵庫を作ったのではないかと思えてきます。
当時の氷室職人が今の冷蔵庫を見ると腰を抜かすでしょうね(笑)

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